八・一
20年前の暑く鋭い陽射しが降り注ぐ中、私は誕生した。
昔から自分の誕生日は大好きだった。
『8月1日』
末広がりの八と、ナンバーワンの一という二つの数字の下に産んでくれた母に誕生日がくるたびに感謝した。朝起きて時計が8時1分だった時は、その日1日がいい日になるのではないかと思うほどだった。
そんな私は昔から割と目立つのが好きだった。
誕生日も派手だしそういう星の下に生まれたのかなぁと何度も思った。
実際小中どちらもクラスでは派手なグループに属していたし、いい意味でも悪い意味でも目立った。
唆されて加担した軽い意地悪も、側からみたら私が主犯のように見えがちだし、それが原因で私のことが苦手だって思う子も多かった。
その一方で勉強も運動も軽くこなせていた私は、皆から尊敬の眼差しで見られる事も少なくなかった。
自分で自分を好きだった。嫌いになる理由なんてなかった。
中学では部活で主将を務め、学区内で五本の指に入る進学校へ合格。華の高校生活が始まった。
でも高校の部活で、人生最大の挫折を味わう。
当時進学した高校には、中学の頃常に上位を争っていた選手がぞろりと入学していた。もちろん私も存在を知っていたが、中学の頃部活が弱かった為対戦することなどほとんどなかった。
同じ部活に入れば、絶対強豪校になると期待を膨らますも入部して一ヶ月ほどで実力差を肌で感じる。中学では常にスタメン、ベンチに下げられたことなどなかった私にとって、正直耐え難い出来事だった。
必死に食らいついた。練習に練習を重ね一年の秋にスタメンを勝ち取った。
二年の夏にポジションが変わった。
今まで運動神経と感覚でなんとかなっていたポジションと違い、確実な技術がいるポジションに全く経験のない私が、ぽんっと指名された。
確かにわかる。当時のメンバーが私以外にそのポジションをやれる人がいなかった。中学の頃に活躍していたメンバーはアタッカーとして着実にレベルアップしていたし、だからこそそのアタッカーを生かすために私が送り込まれた。
痛いほどわかる。顧問の先生の意図も、私がやらなければならない事も。
でも当時の私には荷が重かった。
素晴らしい素材を生かすも殺すも自分次第。
必死に努力しても体がついていかない。
唯一の救いであるはずの同期から、厳しい言葉ばかり投げられ、いつしか大好きなはずのバレーボールが嫌いになろうとしていた。
何度も泣いて、部活に行きたくない気持ちを押し殺して必死に練習した。
あの時は無我夢中だったと思う。
部活を引退するときも、高校を卒業するときも、思い出されたし大学へ入学して二年も経った今でもあの時のことを鮮明に思い出す。
間違いなく今の糧になっているし、きっとこれからも私の中に一本の筋として残るだろう。
こうして大学生になり、新たな目標もできて実現のために頑張っている。
どれだけ大変でもどこかで信じている自分がいる。
私なら絶対にやれる
と。
末広がりの八にナンバーワンの一。
寅年の獅子座というなんとも強そうな星の下に生まれた私である。
決してできないことなんてない。私ならきっとこれからも上手にやっていけると信じてやまない。
八・一に生まれた自分が大好きだ。
R
12.13