R’s diary

関西の女子大生。

謹賀新年


しばらく投稿が滞ってしまっていた、よくないよくない。


すっかり年が明け、2019年。早いものでもう産まれてから20年が経ちました。


高校生活が部活一色だった私が、女子大へ進学し新しいことをたくさん始め、たくさんの方と出会い掲げる今年の目標は。




ズバリ。







『聡明で余裕のある女性になる』






大学生活の中でたくさん学ぶこともできるし、大学生にしかできないこともたくさんあるので、一概に大学での授業が無駄で無意味だとは思いません。

でもその中での、友達関係(ましてや女ばかりの世界)や付き合い方で悩むことも多々あります。


高校ほどヌメヌメした関係はなくとも、やっぱり女同士。少なからずいざこざが起きるのは想定内です。私は基本的に、女同士のいざこざが死ぬほどめんどくさいのであえて突っ込みません。側から話を聞くだけ。聞くのも正直めんどくさい。




すべてを通り越して、社会人になりたい。
自分の好きなことを職にしてたくさんたくさん学びたい!!と、ここ最近強く思うようになりました。

でも。希望している会社へ就職するには、大学での頑張りが大切だし結局ここでやらずには社会人にはなれない、と言うわけです。



そこで私は決めました。




2019年は就職のための一年にする!!!!




資格を3つ。バイトに大学の課題。
それに加えてジムにも通おうとしています。




忙しくなるし、でもそれに甘えて全て中途半端に終わらせたくない、と思うのが今の正直な気持ちです。







全ては将来の自分のための勉強、投資であり
無駄なものは1つもないと確信しています。


ここまで私をそうさせるのは、間違いなくフリーアナウンサーさんの市川いずみさんの影響があります。





いずみさんにお会いしてから私の人生は180度変わりました。物の見方が変わりました。
いずみさんのようになりたい、と大学へ入ってから強く思うようになりました。



いつか同じフィールドでお仕事がしたい!!!
その一心でやっています。






2019年。








私自身のために全力でがんばります!!!!!!









1.3

R

1人。

お題「ひとりの時間の過ごし方」




1人映画、1人焼肉、1人買い物、1人カラオケ、1人野球観戦、1人旅行…
もうほとんどのことは1人でできるのではないのか、というほど大抵のことは1人でやってきた。



小中高とクラスがあって、その中でグループに所属していないと友達がいない子のように見えがちだからもちろんたくさんの友達と青春を過ごした。



大学へ入ってからというもの、クラスというものがなくなり授業ごとにメンバーが変わる形式がすっかり気に入ってしまった。

仲がいい友達がいれば、一緒に授業を受けるがいないならいないで、1人で受けられる気楽さもある。1人で黙々と授業を前の方で聞き、後ろの方で携帯ばかりを触っている生徒と一緒にはされまいと勉強する自分に酔いしれているのかもしれないけれど、それで捗るのなら言うことなしだ。



1人授業に味をしめた私は、どんどん一人行動を始めた。
カラオケに焼き肉。もともと好きだった高校野球の観戦に旅行。


もう正直怖いもの無しといったところだ。




先日、お腹が減ったためひとりで吉野家に入ったところサラリーマンのおっちゃん達にたくさん見られた。入るやいなや、すぐに

『牛丼並1つ』

と頼んでそそくさと食べて会計を済ませて出た時の周りの人の目が面白かった。



この頃から頻繁に牛丼に通い始める。
楽しい。


友達といるのが嫌いなわけではないし、寂しがりやでもあるので友達といたいときももちろんある。


でも1人でゆっくりコーヒーでも飲み、明日することを頭の中で考えながらぼーっと歩く時間も好きだ。

というか、もうこの時間が無かったら今頃パンクを起こしているはずだ。


だから学校から帰るのも基本1人がいい。
すぐイヤフォンを装着し、スタスタと駅へ向かう。


大好きな音楽である、Oasis の曲に揺られて家路につく。


今日もひとりで聴きながら。










12.20

自己嫌悪



今日、私は高いヒールで梅田を闊歩する自分に酔いしれていた。

昔から、コツコツ、と音がなるパンプスは好きだった。その音が幼い私を、綺麗なお姉さんにしてくれているような気がして。





学校が終わって、買い物をしようと梅田へ。
普段メイクをしていかない私が、この日ばかりはときちんとメイクを施す。

どこから見られてもいいように細心の注意を払う。寒さに弱い田舎者の私でも、都会へ繰り出す時は短いスカートを履く。少しでも、可愛く輝いていたい、という気持ちから。



梅田を知り尽くしています。と言わんばかりの顔つきで、音楽を聴きミニスカートを履きながら高いヒールを鳴らし闊歩する、その時間が好きだ。






自分は可愛い






と。自信がなければ、足だって出せないしメイクをしても不細工なのは隠せないのだからマスクをするくらいの対策は講じるはずだ。

でも私が少なくとも、これらの対策をしないということはある程度自分に自信を持っているということになる。



嘘ではない。自分のことは嫌いではない。
そこそこに性格もいいし、顔も悪くないと思っている。




でもふと電車の窓に映る自分の姿に落胆し、下から映る自分の二重顎に驚愕する。
毎日繰り返される。


自分のことは好きだ。みんなそうだろう。


その反面、受け入れられない自分がいるのも確かである。私は多い。
そんなところも好きになるべきなのか、悩む。
毎度毎度自己嫌悪に陥る。負のループだ。


私の場合努力次第でなんとかなる問題が多すぎる。



2018年が終わる。






2019年。このままで終わっていいの?










変わりませんか?私。








12.19

原点

お題「わたしのアイドル」

 

私のアイドルかぁ、と考え出してから30分。

何人かの人物が頭をよぎったが、やっぱり彼だと思う。

 

 

その人物とは、2010年第92回全国高校野球選手権大会の準優勝投手、一二三慎太投手である。

 

女性暴行で逮捕された報道を目にした時、家に帰って泣いた。悔しかった。馬鹿だなあと、彼の起こした愚行を受け入れることができなかった。

 

 

 

でも。

 

 

 

私の原点に変わりはない。

永遠のヒーローなのだ。

 

 

彼を初めて目にしたのは、12歳小学6年生の夏だった。そしてそれは、1番たくさんの観衆に囲まれ凄まじい応援を浴びる決勝戦であった。

 

小さいながらに、この大観衆の中で野球をするのってどんな気分だろう。暑いのにすごいなあ。かっこいい。と当時の私は色々考えていたように思う。

 

実際、この時から20歳になった現在まで高校野球の虜になった。今では、もう球児の年齢をゆうに超え姉のような、母親のような気持ちで試合を観ている。

大学生になってからは、自分の時間が増え隙間時間をみつけると、せっせと遠い球場へも足を運びスコアをつけている。

 

 

そんな私のことを周りの友達は

 

高校野球ヲタク』

 

と呼ぶ。

こう呼ばれることは全く嫌ではない。むしろ少し誇ったような気分になる。小学六年生の頃からのめり込むように高校野球が好きになったし、1人で観戦するのがほとんどなのでこう呼ぶことは自然である。

 

 

中学三年生の夏、初めて聖地甲子園球場に足を運んだ。

95回大会の決勝戦だった。群馬県代表の前橋育英高校と宮崎県代表の延岡学園高校の一戦。

絶対的エースである高橋光成(現・西武)を擁する前橋育英と投手リレーで勝ち上がってきた延岡高校。

 

両校の熱い応援が耳から離れなかった。

空の青さと、緑色の綺麗な芝のコントラストが日本一を決める場にふさわしいほどに輝いていた。

 

 

 

もう”高校野球ヲタク”を始めてから、8年が経過しようとしている。

 

 

原点に帰ることが何度もある。

将来、スポーツ記者になりたい。という素敵な夢を与えてくれた人。

 

 

 

一二三慎太

 

 

 

 

 

 

私のヒーローである。

 

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R

 

12.15

初めて。

お題「わたしの記念日」


高校に入り、周りはぞくぞくと恋人を作って華の高校生活を謳歌していた。一緒に下校したり、寄り道してマックに寄ったり、梅田へ遊びに行ってプリクラを撮る。定番だけど充実している、所謂リア充というものだ。


周りが "リア充"をしている中、私は部活に明け暮れていた。私の所属していたクラブは強豪と呼ばれもちろん毎日練習があるし、終わる頃には帰るので精一杯。当然恋人がいても、一緒に帰る元気もあるのかな、といった具合である。




そんな私に初めて彼氏ができた。
一度告白して振られた相手だった。野球部でキャッチャーのポジションだった彼は、クラスは違えど仲良くしてくれる少しクールな男の子だった。

放課後呼び出された。
中庭の階段で、付き合ってほしい。と言われたことを今でも鮮明に覚えている。頭が真っ白になって何も言えずにいたら、いい?と聞かれた。こくん、と頷いた私に嬉しそうにありがとう、と言ってくれた彼の顔は恥ずかしさで見られなかった。





初めての彼氏。友達から、彼氏になった。


どうやって連絡を取ればいいのかな。
好きは毎日伝えた方がいいのかな。


距離感がわからなかった。
でも、好きだった。大好きだった。自分なりに模索して、友達に相談して、必死に愛を伝えていた。


嫌われないように。
離れないように。


今になって思う。



これが良くなかったんだなって。




最初のうちは、俺も好き。と伝えてくれる彼に安心感を覚えて、その言葉が欲しいが故に愛を囁き過ぎていた。SNSのプロフィール欄に付き合った日付を入れてくれた彼に舞い上がった。


それだけで愛されている気分になった。
私も、彼も、若かった。




もちろん甘い関係は長くは続かない。
それは2ヶ月が経とうとしたある日、突然訪れる。


『俺、もう好きかどうかわからん』



最初は冗談かなと思った。唐突すぎた。
普段から連絡もクールだったから絵文字がないのに気がつかなかった。スッと血の気が引いたのを覚えている。



冬の22時に外で自転車に跨りながら、必死に別れようという言葉を言われないように、突きつけられないように、私は好きだと無意味な愛を囁いた。




そこから家へ帰るまでは頭が真っ白だった。
坂がたくさんあったはずなのにしんどかった思い出がない。必死に自転車を走らせたのだろう。目から溢れる涙が落ちないように、上を向いて走らせた。





しばらく引きずった。学校で顔を合わせるのも嫌だったし、友達からその話題をされるのも嫌だった。





初めての彼と付き合った記念日から、今年でもう4年が経つ。


これだけの月日を経て、漸くあの時の私を客観的に見られるようになった。
クールな彼の性格をきちんとわかってあげられていなかったな。依存しすぎていたな。と。


大学生になり、考え方も高校生の頃と随分変わった。


ふと考えることがある。
今の私なら当時の彼と上手くやれたのかな、と。
今でもごく稀に連絡がくることがある。何気ない話題だ。一瞬で連絡は切れるのだが、私の中でその一瞬に、ほんの少し学生の頃の懐かしい気持ちが詰まっているように感じる。


思い返してみれば、洋楽を好きになったのも付き合う前に彼からおすすめのCDを借りたからだし、野球部の友達がたくさん増えたのも彼とお付き合いできたからだ。



長くは続かなかった彼だけど、たくさん感謝している存在である。
いつか2人でゆっくりお茶でもしたい。




毎年、記念日が来るたびに告白してくれたことをふと思い出す。







12月1日




私の忘れられない記念日。








R

12.14

八・一

 

 

20年前の暑く鋭い陽射しが降り注ぐ中、私は誕生した。

 

昔から自分の誕生日は大好きだった。

 

 

『8月1日』

 

 

末広がりの八と、ナンバーワンの一という二つの数字の下に産んでくれた母に誕生日がくるたびに感謝した。朝起きて時計が8時1分だった時は、その日1日がいい日になるのではないかと思うほどだった。

 

そんな私は昔から割と目立つのが好きだった。

誕生日も派手だしそういう星の下に生まれたのかなぁと何度も思った。

実際小中どちらもクラスでは派手なグループに属していたし、いい意味でも悪い意味でも目立った。

唆されて加担した軽い意地悪も、側からみたら私が主犯のように見えがちだし、それが原因で私のことが苦手だって思う子も多かった。

その一方で勉強も運動も軽くこなせていた私は、皆から尊敬の眼差しで見られる事も少なくなかった。

 

自分で自分を好きだった。嫌いになる理由なんてなかった。

 

中学では部活で主将を務め、学区内で五本の指に入る進学校へ合格。華の高校生活が始まった。

 

でも高校の部活で、人生最大の挫折を味わう。

 

当時進学した高校には、中学の頃常に上位を争っていた選手がぞろりと入学していた。もちろん私も存在を知っていたが、中学の頃部活が弱かった為対戦することなどほとんどなかった。

 

同じ部活に入れば、絶対強豪校になると期待を膨らますも入部して一ヶ月ほどで実力差を肌で感じる。中学では常にスタメン、ベンチに下げられたことなどなかった私にとって、正直耐え難い出来事だった。

 

必死に食らいついた。練習に練習を重ね一年の秋にスタメンを勝ち取った。

 

二年の夏にポジションが変わった。

今まで運動神経と感覚でなんとかなっていたポジションと違い、確実な技術がいるポジションに全く経験のない私が、ぽんっと指名された。

 

確かにわかる。当時のメンバーが私以外にそのポジションをやれる人がいなかった。中学の頃に活躍していたメンバーはアタッカーとして着実にレベルアップしていたし、だからこそそのアタッカーを生かすために私が送り込まれた。

 

 

 

痛いほどわかる。顧問の先生の意図も、私がやらなければならない事も。

 

 

でも当時の私には荷が重かった。

素晴らしい素材を生かすも殺すも自分次第。

必死に努力しても体がついていかない。

唯一の救いであるはずの同期から、厳しい言葉ばかり投げられ、いつしか大好きなはずのバレーボールが嫌いになろうとしていた。

 

 

何度も泣いて、部活に行きたくない気持ちを押し殺して必死に練習した。

 

あの時は無我夢中だったと思う。

部活を引退するときも、高校を卒業するときも、思い出されたし大学へ入学して二年も経った今でもあの時のことを鮮明に思い出す。

 

間違いなく今の糧になっているし、きっとこれからも私の中に一本の筋として残るだろう。

 

 

 

 

こうして大学生になり、新たな目標もできて実現のために頑張っている。

 

どれだけ大変でもどこかで信じている自分がいる。

 

 

私なら絶対にやれる

 

 

 

と。

 

末広がりの八にナンバーワンの一。

寅年の獅子座というなんとも強そうな星の下に生まれた私である。

 

決してできないことなんてない。私ならきっとこれからも上手にやっていけると信じてやまない。

 

 

八・一に生まれた自分が大好きだ。

 

 

 

 

 

 

R

 

 

12.13